今から15年前に起きた東日本大震災、女川の被災とその歯科的支援の記録文集に掲載された内容を読み返した。我々の仕事は「歯を治す」ことだけじゃなく、「食べる」、「話す」、「笑う」といったもう少し大きな枠組みの中で考えなければならないということを再認識した。以下、私とスタッフの掲載文である。
「再会を楽しみに」
NPO法人関西ウェルビーイングクラブ 森岡歯科医院 篠藤理恵
約 930キロ。12時間。院長と交代の運転。移動から初めての体験でした。
初日。女川に到着後、避難所である女川第一小学校を訪れました。そこで、院長が用意していた「たこ焼き」を焼かせて頂くことになりました。
初めは皆さんとどのように接すればいいのか・・・私の中で戸惑いもありました。しかし、皆さんはとても明るく私たちを迎え入れてくれました。「大阪からボランティアで来てくれたんだって。ありがたいねぇ・・」との言葉。本当に嬉しかったです。
皆さんと一緒にたこ焼きを焼きながら色々な話を伺う事が出来ました。「奥様が津波でながされてしまった話」「家が全て流されてしまい貴重な大切な物まで失った・・まさか 2度と家に戻れなくなるなんて・・・」何と声を掛けたらいいか・・・。しかし、そこには皆さんの大きなパワーがありました。
2日目、3日目は木村先生の診療のお手伝いをさせて頂きました。診療所には私の想像を超える人数の患者さんが来院されました。中には「木村先生、お久しぶりです」と、嬉しそうな表情で診療室に入って来られる方も。その表情を見て私も嬉しく思いました。
ある、車椅子で来られたおばあちゃん。俵本先生を見て、「あらあー、木村先生お久しぶりです!」さすがに、その言葉には笑いました。
今回、私たちが女川で活動できたのはたった3日間。訪れる前は不安な気持ちが強かった私。しかし、実際に目にしたものは東北を支援しようと全国から来ている沢山の支援者、自衛隊、警察の方々。
町中に合言葉の様に書かれている「がんばろう女川」「がんばろう石巻」「がんばろう東北」との言葉。
私は力強いパワーを感じました。私は元気をあげたくて、力になりたくてボランティアに来ましたが、逆に私自身が大きな勇気を貰いました。働ける有り難み、会いたい人に会える喜び・・・改めて痛感しました。
そして、いつか必ず木村歯科の方たちと再会したいと思います。
「食べることは生きること」
NPO法人関西ウェルビーイングクラブ 森岡歯科医院 森岡 敦
行くまでにいろんな情報が錯綜した、あくまで木村先生の支援、勝手な行動は出来ない。
初日は休診日で木村先生もいない、総合体育館には行ったが入るのには躊躇した。
親族を亡くされた方に何を話せばいい、何もかも失われた方にどう接すればいい。
秋密兵器のたこ焼きがあるが、時間の経過と共に私にも焦りが出てきた。
やるなら木村先生の休みの今日しかない。
その時、一緒に行った俵本先生から日大松戸チーム(歯科大学のチームで歯の検診をしていた)と合流するという連絡があり、すぐに女川第一小学校に駆けつけた。
規模は150人、ちょうどいい。要望書にNPO法人関西ウェルビーイングクラブ森岡敦と記入し許可がおりた。
食中毒は大丈夫ですね、衛生管理には気をつけて下さいと言われ「たこ焼き」を開始。
匂いにつられ、少しずつ人が集まって来た。
集まるおじさんやおばさんの前歯は数本ない、歯には関心がないが食することには興味深々。
一緒に焼きだす始末。
俵本先生も大活躍。おっちゃん、おばちゃんと親しみ深い口調、この行動力には頭が下がった。
子供とのコミュニケーションも天下一品。子供が学校から帰ってくると「おいでおいで」に始まり子供に訛っていると言われると「東北人に言われたくない」と場を和ませる所も凄かった。
子供たちは日頃聞かない関西弁に大喜び、一面に笑い声が轟いた。
周りの大人たちにも笑顔が見れた。
この日をきっかけに日大松戸チームとも仲良くなり、人は一人では生きれないという事を再確認した。
食べる事が、生きる事、命の源となる。
食べれば元気が出る、笑顔も出る。その日はとってもいい笑顔が見られ3人とも大満足であった。メールでも電話でもない、相手の表情を見て話す大切さを現地で教えて頂いた。
900キロ離れた地へ「飛行機ではなく車」で行くことにより重みが増した、縁かもわからないが行かなければない縁である。
