今日は朝から雨の中、妻と姉と私の3人でお墓参りにいった。父が亡くなり1年半が過ぎた。私は4人兄弟(上から女、女、男、男)、3番目の長男である。
父の1年祭の挨拶で、私は3つの「死」についての話をした。人には3つの死がある。1つ目はその人が亡くなったとき、2つ目は肉体から骨に変わったとき、3つ目はその人のことがこの世から忘れ去られてしまったとき、父のことは私が亡くなるまで忘れることはないと・・・。
父は亡くなってしまったが、近くにたくさん歯医者がある中、80歳を過ぎた父の友人たちが、今も電車を乗り継ぎ森岡歯科に通ってくれている。義理堅いというか、この方たちは今も父のことを忘れてはいない。私も父が築いてくれたこの繋がりを大切にしていきたいと思う。
子供の頃は、祖父、祖母によく連れられお墓参りにいった、そして祖父、祖母が亡くなり、父と行くようになり、そして今、お墓参りに行くメンバーは替わった。子供から大人になり、これからはやがて訪れる老いとも対峙していかなければならない。
なぜ?お墓参りに行くのか?ということを私は知らぬ間に教えてこられたような気がする。3つの死の3つ目、ご先祖様のことは忘れてはならない、大切にしなければならないということを。
もう1人私が大切にしなければならない人がいる、それは妻である。父が病に倒れたときも付きっきりで看病をしてくれた。彼女には損得勘定がない、責任感が強く、自分がやらなければならないと思えば、自分がしんどくなるまでとことんやり通す持ち主である。つい最近行った「スタッフとの釣り」も彼女は何も言わずとも、釣りの用意、食事の用意、すべてをしてくれていた。森岡家を支え、森岡歯科も「影で支えてくれている」大切な存在であることを私は忘れてはならない。