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喪中

10月28日、母が旅立ちました。肺がんステージ4と言われて、10年間とても親身に診察・治療をして頂き、ほんとうに有難うございました。10月17日、母の84歳の誕生日を家族みんなで祝ってあげることができました。

20日の夜、母の辛そうな表情を見て往診の先生に来て頂くことになりました。そこでドルミカムによるセデーションの話になりました。突然のこの話に我々も戸惑いました。次女と下の弟に電話し、「今は会話ができているが、もう会話はできなくなってしまうけど、それでもいいか」の確認を取りました。母が望むことならそれでいいとみんなで涙しました。

21日、午前中に家族が集まり、母の「もうしんどい、疲れた、早く逝きたい」その願いを尊重してあげたい、今までありがとう・・・。往診の先生が来られるまでいろんな話ができました。といっても涙、涙で会話も少なかったです。母はほんとうにしっかりしていましたので、我々の「しっかりしている、まだ生きて欲しい」は、母を苦しめてしまっていたのかもわかりません。「せん妄」もではじめ、死が近づいてきているのを感じながらも、それを受け入れられない私たちがいました。

うちのスタッフも口腔ケアをしてくれました。口腔乾燥や誤嚥性肺炎を避けるというよりも、お口の中もきれいな状態で天国へ旅立たせてあげたかったからです。看護師の方が母の口の中を見て、さすが歯医者さんのお母さん、お口の中がきれいと。それから1週間、往診の先生から呼吸が浅くなってきているので、今日は何人かで泊まられた方がいいと。夜の12時半頃、下顎呼吸がではじめたので、手を握ってあげよく頑張ったね、今までありがとうと耳元で言ってあげました。母は生前夜に逝くとみんなに迷惑をかけてしまうといっていましたので朝まで頑張ってくれました。8時51分、最後に涙を流して天国へ旅立ちました。

母は亡くなる直前まで頭はしっかりしていましたので、兄弟に当てたメッセージを残してくれていました。

敦へ

父を愛し、力以上の頑張りをしてくれたねぇ。随分しんどかったことでしょう。私に対しても、優しくどんなことでも願いを叶えてくれました。本当にありがとう。周りの人の支えがあったからです。とそこには書かれていました。母は観てくれていました、私の一生懸命さを、父にできなかったことを母にしてあげたかった。

お世話になった皆様、本当に有難うございました。また院長不在でご迷惑をおかけしました。地域で愛される歯科医院を目指して、これからも頑張っていきたいと思います。

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